壮観の放言高論

書のこと、師匠北畑観瀾のこと、中国語関係のことを中心に気ままに書いていきます。

犬の子守

 私が子どもの頃、観瀾先生は調布の小島町に住んでいた。京王線調布駅下車、徒歩5分とかからない場所であった。今はもう当時の建物はなく、アメリカンファミリー生命保険会社の立派なビルが建っている。物心つく前から幾度となく父に連れられて行っていたらしいが、かすかに覚えているのは玄関の扉の色が黒かったことと、お風呂場のタイルの色も黒であったことだ。

 子どもの頃は先生が書家であることも、以前は学校の教師であったことも知らなかった。しかし幼いながらに普通の大人と違った雰囲気を感じ取っていて、先生のところに遊びに行きたがっていたらしい。犬を一匹飼っていたので「わんわんのおばちゃん」と呼んでいた。飼い犬は柴犬で「寿星妃号『智』」という立派な名前がついていた。子供だったからだろうか、柴犬ではあるが1m以上もある大型犬のように感じた。先生からは「智(ち)ーちゃん」と呼ばれていた。父が玄関のチャイムを鳴らしてドアを開けると、必ず待ち構えていて吠えながら私に飛び掛かってくる。尻尾を振っているので歓迎の挨拶なのだが、如何せん子供の私はそんなことはわからず、ただただ怖かった。

 おやつを食べている時は私の後にきて前脚で肩をポンとたたく。気が付かないふりをしていると、今度はポンポンと二回たたく。それでも無視しているとポンポン「ワン!」と吠える。飼い主の先生や大人では相手にしてもらえないと思って、立場の一番弱い子供の私に「自分も食べたいから頂戴よ!」とおねだりしているのだ。どうやったら確実に食べられるのか考えて行動していたのである。先生から「智ーちゃん、やめなさい!」ととがめられると、「ワンワンワン!」と抵抗するのであるが、その抵抗が無駄だとわかると、恨めしそうな目で私を見て、空腹を満たすかのように水瓶の水をピチャピチャと飲んでおとなしくしていた。

 3歳のある夏の日、盆踊りなのかお祭りなのかは記憶が定かではないが、調布駅前の広場で縁日があり屋台がたくさん並んでいた。先生宅から作家のO(オー)さんに連れられて広場まできて、水遊び用の小さなおもちゃを二つ三つ買ってもらった。先生宅に帰ると、お風呂に水を張って買ってきたおもちゃで遊んだ。ネジを回して水面に浮かべると腕がぐるぐると回転して泳ぐペンギンや、ぷかぷかと浮く黄色いひよこ、小さな船もあった。ひとしきり水風呂で水遊びをして疲れたのだろう。浴室からでると私は寝てしまったらしい。すると犬の「智ーちゃん」がずっと私の枕元にいて、先生や父が近づくと「ウー」と少し諭すような鳴き声で近寄らせないようにしていた。子供が寝ているから近寄るなと言っているのだ。その様子を先生のお父さんが見ていて「犬が子守しよる」と言っていたそうだ。

 ペットを飼っていれば必ずお別れの時がくる。智ーちゃんの壮絶な最後は、作家畑村達氏が「『今日と明日の間で』角川書店 1989年4月」に詳細に記載している。また、同じく畑村達氏の「『アフガンの蝶―eメール・ストーリー』講談社ビジネスパートナーズ 2003年11月」には先に掲載した内容の簡略版が記されている。興味のある方は是非ご一読してみては如何だろうか?

 約17歳と長寿をまっとうした「智ーちゃん」は、今頃きっと大好きな先生の周りを元気に走り回り、幸せに過ごしていることだろう。