壮観の放言高論

書のこと、師匠北畑観瀾のこと、中国語関係のことを中心に気ままに書いていきます。

三十帖冊子(三十帖策子)

  1月27日(土)、東博で開催されている特別展「仁和寺と御室派のみほとけ -天平真言密教の名宝-」に行ってきた。様々な絵画、書跡、彫刻、工芸品が展示されているが、お目当ては『三十帖冊子』である。

 『三十帖冊子』は空海が唐の長安で写経生を集めて書写させて持ち帰った経典や儀軌類の冊子である。もともとは三十八帖あったが現存するのは三十帖であるので『三十帖冊子』と呼ばれている。1月16日(火)~28日(日)限定で全帖が一挙公開されると知り(1月30日(火)以降は2帖ずつ公開)、この機会を逃してなるものかと足を運んだ。

 最大の目的は、『三十帖冊子』の中に空海の自筆部分があり、その実物を見ること。印刷された法帖との微妙な違いがわかればしめたものである。私はその場で見比べる為に恥も外聞も捨て、法帖を持参していった。

 一か所にじっと立ち止まって見るわけにはいかないため、何度も列を並び直し実物を食い入るように見た。はたから見たら単なる迷惑で邪魔な見学者であっただろう。しかし実物を見る機会は滅多にあるものではないし、もしかしたらもう見ることが出来ないかもしれない。そういう思いが私の理性を少しだけ失わせたのだ。

 空海自筆の部分は見ればすぐわかる。写経生が書写した部分は、間違えのないように丁寧に細かく基本的に楷書で書かれているが、空海自筆部分は主に行草で書かれている。写経生だけでは書写が間に合わないからと空海も自ら筆を執ったと言われている。時間に追われているときにゆっくりと楷書で丁寧に書写するわけがない。時間短縮のために行草で書写したことがより王羲之(おうぎし)の書法をマスターした空海の特徴が表れていると言える

f:id:hsoukan:20180227144331j:plain第一帖(部分) 写経生書写

(図録『仁和寺と御室派のみほとけ』(読売新聞社発行)より転載)

 

f:id:hsoukan:20180227144355j:plain第七帖 (部分)写経生書写

(図録『仁和寺と御室派のみほとけ』(読売新聞社発行)より転載)

 

f:id:hsoukan:20180227145248j:plain第十五帖 (部分)空海自筆

(図録『仁和寺と御室派のみほとけ』(読売新聞社発行)より転載)

 

f:id:hsoukan:20180227145403j:plain第二十七帖(部分)空海自筆 (『弘法大師 三十帖冊子』(清雅堂発行)より転載)


 空海の代表作といえば誰もが『風信帖』を思い浮かべるが、『三十帖冊子』の空海の主要な自筆部分は『風信帖』ではなくむしろ『金剛般若経開題残巻』の書風に近い。しかし『金剛般若経開題残巻』ほど線に冴えや伸びやかさはない。これは書写したものと自ら文章を書いたものの違いと、紙面や文字の大きさの違いによるものであろう。

 第十四帖の空海自筆部分は経典の書写ではなく三十帖冊子の内訳を目録として書き記したもので(この目録には三十八帖であることが記されている)、文字も大きいため、より『金剛般若経開題残巻』に通じる筆意が感じられるf:id:hsoukan:20180227145457j:plain第十四帖(部分) 空海自筆

(図録『仁和寺と御室派のみほとけ』(読売新聞社発行)より転載)

 

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 『金剛般若経開題残巻』(部分)(奈良国立博物館 HP 収蔵品データベースより転載)

 また、第二十三帖は一見殴り書きといった感じであるが、写経の範疇をこえる大胆不敵なスケール感で、写経生であったら絶対にありえない臨機応変な感じが、『灌頂記』を彷彿とさせる。f:id:hsoukan:20180227145622j:plain第二十三帖(部分) 空海自筆

(図録『仁和寺と御室派のみほとけ』(読売新聞社 発行)より転載)

 

f:id:hsoukan:20180227145644j:plain『灌頂記』(部分)   (『灌頂記』帝室博物館御蔵版(太平社発行)より転載)


 他の帖にも空海自筆部分があるが、どれも見応えがあり素晴らしい。

 さらにこの『三十帖冊子』には平安時代の「三筆」の一人と称される橘逸勢(たちばなのはやなり)が書写したとされる部分がある。醍醐天皇の『延喜御記』には、空海橘逸勢とが書写したと記されており、橘逸勢も書写したことは間違いないはずだ。しかしどの部分かが不明であった。これを発見したのが比田井天来である。第二十九帖後半部分が橘逸勢の書であると断定したのだ。第二十九帖のこの部分は、写経生のきめ細かな書写とは違い文字の大小や行間が不ぞろいで、写経に慣れていない者が書いたことがわかる。しかもその書風は一見稚拙に見えるがそうではなく、雄大沈着で紙を突き破るような深い線である。出だしは慎重に書き始めているが、終盤部分になるとだんだんと一文字一文字が大きくなって紙面一杯になり、今にも飛び出してきそうなスケールの大きい豪放磊落な書風へと変化していく。嫌々書いたものではなく興に乗って楽しんで書いた証拠である。比田井天来曰く「豪放不羈」な書である。空海や写経生の書写とは明らかに違う。比田井天来はこれを看破し、第二十九帖の後半部分こそ橘逸勢の書跡であると断定した。しかし歴史的に証明されたわけではないため、現在でも「橘逸勢書」ではなく「伝橘逸勢書」と「伝」が付けられている。 

f:id:hsoukan:20180227145813j:plain第二十九帖 伝橘逸勢書(冒頭部分)
(独立書人団創立三十周年記念出版『傳 橘逸勢 三十帖策子』より転載)

 

f:id:hsoukan:20180227145838j:plain第二十九帖 伝橘逸勢書(終盤部分)
(独立書人団創立三十周年記念出版『傳 橘逸勢 三十帖策子』より転載)


 『三十帖冊子』の法帖は、天来書院より第二十九帖の橘逸勢の箇所が『拡大本三十帖策子伝橘逸勢書』として発売されている。空海自筆部分は第二十七帖が清雅堂より『弘法大師 三十帖冊子』として発売されていたが既に絶版となっている。法藏館からは総本山仁和寺監修、三十帖全帖の原寸大完全復刻で『国宝 三十帖冊子』が受注制作であるが発売されている。但し金額が税込1,566,000円とそう簡単に手が出せる価格ではない。法帖としては他には明治四十二年博文堂刊行の『三十帖冊子』などがあるが、いずれも絶版で入手困難となっている。

 天来書院、二玄社といった書道専門出版社からの発行予定はないのだろうか。『三十帖冊子』が注目されている今がその時でありチャンスだと思うのだが。書の法帖用として空海自筆部分の出版発行を切に願う次第である。