壮観の放言高論

書のこと、師匠北畑観瀾のこと、中国語関係のことを中心に気ままに書いていきます。

野球盤

 1975年(昭和50年)に観瀾先生は調布の小島町から保谷市本町(現在は西東京市保谷町)へ引っ越しをした。最寄駅は西武新宿線西武柳沢駅であったが、急行が停まらない駅であったため、西武新宿駅もしくは高田馬場駅から下りに乗車した場合は一駅先の田無駅で下車し、バスに乗り換えた。徒歩であれば約15分で着く距離だ。また、西武池袋線保谷駅からバスで行くこともあった。

 住宅街をくねくねと歩いていき路地を曲がって袋小路の突き当たりが目的の家だ。呼び鈴を鳴らすとワンワンワン!と「智ーちゃん」の元気のいい出迎え。私は7歳、小学2年生くらいだったと記憶している。その日は珍しく家族4人で先生宅を訪問した。おやつを食べ終わると「好きなもの買ってあげるから」と、先生と二人で散歩に出かけることになった。

 先生は子供の私に合わせてゆっくりと歩を進め、あれこれ話をしているうちに目的地である西武柳沢駅北口の富士街道沿いにある商店街に到着した。「欲しいもの言ってごらん」と言われるものの、何を買ったらいいのか決められずにいると、「それじゃCちゃんのを先に買ってからにしょう」と妹へは絵本を買ってもらいました。そして自分の番です。なかなか決まらないで商店街をうろうろしながらおもちゃ屋に入りました。「ここなら何かあるでしょ?」と先生が仰るので、私は咄嗟に欲しくもない目の前にあったカードゲームを指さした。先生は「本当にこれでいいの?」と私が欲しくないのがわかっていたみたいで、「じゃあ、これ!」と今度はちょっと欲しいプラモデルを指さしました。先生はまた「本当にこれでいいの?」と私の様子を観察しながらニコニコと話しかけてきた。最後に私は「あれが欲しい!」と、棚の一番上にある大きな野球盤を指さした。レジで綺麗な包装紙で包んでもらい嬉しそうに足早に大きな野球盤を抱えて帰ると、今度は両親が驚いていた。まさかそんなに大きくて高いものを買ってもらってくるとは思ってもいなかったのであろう。

 

f:id:hsoukan:20180424164427j:plain(買って頂いた野球盤と同型の画像)

 

 それから25年後の2000年のとある稽古日。その日は私を含めて6人の門下生が訪問していた。休憩時間に私の子供の頃の話になり、観瀾先生が野球盤を買ったエピソードを皆に話始めた。「子供ながらに欲しいものをどうやって手に入れるか考えて、顔色を伺いながらまず初めに小さくて安い物、その次にちょっと大きくて値段がそこそこな物、最後に大きくて高い物と順を追って3段階にわけて、したたかで凄いんだから」と冗談交じりに話し懐かしそうな表情をした。しかし本当に凄いのは先生だ。私が忘れていたことも詳細までよく覚えておられたし、何より3段階にわけて欲しい物を自然と言わせるように誘導したのは先生ご自身だ。子供の私は自分なりに気をつかって遠慮していたのだが、先生の観察眼と優しさが私にそう行動させたに違いないのだ