壮観の放言高論

書のこと、師匠北畑観瀾のこと、中国語関係のことを中心に気ままに書いていきます。

白寿記念展

2008年5月16日 ~ 21日、北畑観瀾先生の99歳の祝いを兼ねて「白寿記念展」を東京都品川区大崎にある「O(オー)美術館」で開催された。この書展は企画立案から開催まで全て門人のOK氏が行った。陳列する作品はOK氏所有しているものと観瀾先生ご自身が自宅で…

不思議な光

神奈川県伊勢原市、大山の麓にある曹洞宗「龍泉寺」に北畑家のお墓がある。観瀾先生の弟子であるF氏の実家がその「龍泉寺」で、先生は色々とF氏を援助したことがあり、F氏は感謝のしるしとして実家の「龍泉寺」にお墓を建てる便宜を図った。そういったご縁で…

2012年5月7日 月曜日

2012年3月末日付で離職し、私は就活の最中であった。その日はハローワークの4週間に1度の雇用給付金の認定日であり、雇用給付金いわゆる失業保険をもらうために朝からハローワークに向かった。手続きを終え、窓口で就職相談をしているときに、マナーモードに…

顔真卿

今年1月、東京国立博物館平成館で開催された「顔真卿 ―王羲之を超えた名筆―」を見に行った。顔真卿の『祭姪文稿』が日本初公開と大々的に宣伝され話題を呼んだ。私自身は90年代に台湾故宮博物院で1度見たことがあるので今回で2度目となる。 会場内は甲骨文…

年末恒例

平成最後の正月が過ぎ去った。バタバタと慌ただしく過ごしたり、ゆっくり静かに過ごしたり、国内海外旅行に行ったり、寝正月であったりと、思い思いの過ごし方をされたのではないだろうか。大晦日は必ず紅白歌合戦を見る、家族揃って初詣に行く、親戚一同集…

夢百年

観瀾先生は、先天性心臓弁膜症で10歳までの命と言われていた。両親も好きなことをすきにやらせ、明日は命がないかもしれないということが、自然とその日に出来ることはその日に終わらせ、翌日に持ち越さないという考えや行動になっていった。目の前のやるべ…

観瀾楽しい

2010年5月16日(日)、観瀾先生はこの日満100歳の誕生日を迎えた。数年前から認知症のような症状が少しずつ出始め、稽古日に門人が集まっても以前のような徹底した厳しい稽古、一点一画の細部にまでわたるミリ単位の細かい指摘が出来なくなってい…

有縁千里来相会

高校受験。受験の結果だけみると所謂完全に「負け組」である。私立3校と都立を受験したが、志望校は不合格となり、滑り止めの1校と都立高校だけ合格となった。都立高校は当時学区制が施行されており、決められた学区内の高校しか受験できないようになってい…

野球盤

1975年(昭和50年)に観瀾先生は調布の小島町から保谷市本町(現在は西東京市保谷町)へ引っ越しをした。最寄駅は西武新宿線の西武柳沢駅であったが、急行が停まらない駅であったため、西武新宿駅もしくは高田馬場駅から下りに乗車した場合は一駅先の…

犬の子守

私が子どもの頃、観瀾先生は調布の小島町に住んでいた。京王線の調布駅下車、徒歩5分とかからない場所であった。今はもう当時の建物はなく、アメリカンファミリー生命保険会社の立派なビルが建っている。物心つく前から幾度となく父に連れられて行っていたら…

三十帖冊子(三十帖策子)

1月27日(土)、東博で開催されている特別展「仁和寺と御室派のみほとけ -天平と真言密教の名宝-」に行ってきた。様々な絵画、書跡、彫刻、工芸品が展示されているが、お目当ては『三十帖冊子』である。 『三十帖冊子』は空海が唐の長安で写経生を集めて書…

大雪

2018年1月22日(月)、その日は午前中からチラチラと雪が降り始め、午後になると本格的な降雪となった。午後3時を過ぎると職場では早めの帰宅指示が出された。都内のJR品川駅や渋谷駅ではホームへの入場規制がされ、一部列車の運休や間引き運転で混乱を来し…

先生からお小遣い

小学校の終業式が終わると、父に連れられて北畑観瀾先生の家によく遊びに行った。ひとしきり話が終わると、恒例の時間がやってくる。通知表を見せる時間だ。先生は通知表の成績を見てお小遣いを下さるわけだが、その方法が変わっていた。一般的には成績の結…