壮観の放言高論

書のこと、師匠北畑観瀾のこと、中国語関係のことを中心に気ままに書いていきます。

不思議な光


 神奈川県伊勢原市、大山の麓にある曹洞宗龍泉寺」に北畑家のお墓がある。観瀾先生の弟子であるF氏の実家がその「龍泉寺」で、先生は色々とF氏を援助したことがあり、F氏は感謝のしるしとして実家の「龍泉寺」にお墓を建てる便宜を図った。そういったご縁で龍泉寺に北畑家のお墓が建立された。

 

 「北畑」は淡路島出身の父方の姓であるが、母方の姓は「宮成」であり、全国に4万社あまりある八幡宮総本宮宇佐神宮」の大宮司の家系である。母親は大宮司の家系でありながら神仏を信じるなと自身の子供たちに言い聞かせていたというユニークな方であった。だから観瀾先生は曹洞宗の信者であったわけでも何でもない。

 

 その日は七七日忌、いわゆる四十九日の法要であった。葬儀以来久しぶりに主要な門人が揃った。玄関正面に観瀾先生の作品『禅』が掛かっている。控室には渋谷西武で開催した個展出品作品である『剛』も掛かっていた。

 

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                  『禅』

 

 

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                  『剛』

 

 

 時間になると本堂で法要が行われた。本堂の両脇には臨済録にある「日上無雲、麗天普照、眼中無翳、空裏無花」という言葉を木彫りした対聯が掛かっている。これはもともと独立書人団の抱土社展に出品した『聯』という作品を表現を変えて新たに書き直し彫ったものである。肉筆の作品は線の厚みや暖かさと存在感を出すために直截的な表現であるのに対し、木彫りの作品は、直截的な表現に動きを持たせ彫りやすいような表現となっている。また、位牌を安置する部屋用に白黒を逆転させたものも製作された。

 

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              本堂に掛かる対聯

 

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    『聯』「日上無雲、麗天普照、眼中無翳、空裏無花」(臨済録より)

 

 

 法要が終わると聯に近づき、一文字ずつ筆遣いを目で確認しながら速度、リズムなどの筆の動きを頭の中で思い浮かべた。この部分は褚遂良の『雁塔聖教序』、この部分は顔真卿の『争座位文稿』、『木簡残紙』の表現もありますねと、門人たちと話をしながら先生を思い偲んだ。この作品は古典の筆遣いをふんだんに使っているから、見た感じでは簡単に書けそうな感じがするがその実そうではない。書き始める前には色々とどう表現するか考え、実際に揮毫している時も意識して書いているはずであるが、出来上がった作品は作為的ではなく、自然の流れで書かれたように見えるところが凄い。ひとたび筆を持って書き始めれば古典の臨書で身に着けた表現が自然と湧き出してくるのでしょう。古典の臨書を写実的に追及することの大切さを改めて感じますね、とO(オー)氏と話をしながら『聯』の写真を何枚か撮った。

 

 自宅に帰って写真を確認していると、1枚の『聯』の写真に不思議な光が写っている。神々しい光を帯びた丸い光の球体だ。私は見た瞬間に観瀾先生だと直感した。この世には科学では説明できないことがある。逆に説明できないことが、その存在を肯定することにもなる。光の加減でそう見えるだけなのかもしれない。でも私は観瀾先生の魂だと信じたい。O(オー)氏や他の門人が撮った写真も確認してもらったが写っていなかった。私が写したこの1枚にしか写っていなかった。O(オー)氏と書のことを話しながら撮影している時、「そうそう、よー言った!」と観瀾先生もきっと嬉しそうに話を聞いていたのでしょう。

 

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                 不思議な光