壮観の放言高論

書のこと、師匠北畑観瀾のこと、中国語関係のことを中心に気ままに書いていきます。

先生からお小遣い

 小学校の終業式が終わると、父に連れられて北畑観瀾先生の家によく遊びに行った。ひとしきり話が終わると、恒例の時間がやってくる。通知表を見せる時間だ。先生は通知表の成績を見てお小遣いを下さるわけだが、その方法が変わっていた。一般的には成績の結果は関係なく頑張ったわねと一定額をもらうことが多いと思うが、先生はお小遣いの渡し方も独創的であった。先生の渡し方はこうだ。前回の成績と比べて一つ上がっていれば1,000円くださる。例えば前回国語が4、社会が4であり、今回がそれぞれ5になっていたら2,000円という計算だ。逆に下がっていればその分マイナスである。プラスとマイナスを相殺して、前回より上がった分だけお小遣いがもらえる。非常に理にかなった方法だ。この方法なら子供ながらもらう金額も納得できる。

 しかし成績は上がる時もあれば下がる時もある。ある時実際に成績が前回より下がってしまった。この場合この方法だと一銭ももらえないことになる。子供ながらにガッカリしていると先生から魔法の言葉、「これは貸しだからね」。「前回から2つ下がっているから、この2,000円は貸しだからね」と先生はにっこり笑って私にお小遣いを下さった。お小遣いをもらえたことは嬉しかったが、何とも不思議な感じであった。先生からお小遣いを借りるなんて、どう考えてもおかしい。

 次に通知表を見せるとき、先生は「今回3つ上がったけど、確か前回貸しが2つなかったぁ?」と少しとぼけた表情でちらりと私を見た。前回のことをしっかりと覚えていたのだ。本来なら3,000円もらえるのであるが、2,000円は貸したぶんの返済となり、実際もらうのは1,000円となる。こんな不思議なやり取りが数年続いた。

 普通にお小遣いをあげるのはつまらないからとの遊び心であったのだろうか。先生と私の年齢差は58。祖母と孫の年齢差である。先生は生涯独身であったので本当の孫だと思って接して下さったのだろうか。子供は不思議な生き物であると観察していたのだろうか。

 先生もこのやり取りを楽しんでいたことは間違いないはずだ。